旅行をもっと身近に。チカタビです!
旅行をこよなく愛するアラサー夫婦の我々ですが、旅行をしていてよく思うのです。
もっと勉強してから旅行に行けば2倍、3倍も楽しくなるな
旅行は旅先の食、文化を楽しむことが多いので、前提知識を知っているか知らないかで楽しさに大きく差が出ます。
そこで、旅行前にさらっと読める旅行がもっと楽しくなる豆知識を発信していきますね。
今回は世界遺産について
世界遺産とは
人類や地球にとてかけがえのない価値を持つ記念建造物や遺跡、自然環境などを共通財産として保護しているもの。
そのために、1972年第17回ユネスコ総会で締結された世界遺産条約(文化遺産及び自然遺産)があり、その際に世界遺産リストが作られた。
1978年に12件が世界遺産リストに掲載され、2021年現在は文化遺産897件、自然遺産218件、複合遺産39件の合計1,154件掲載。
世界遺産条約
文化遺産と自然遺産を保護保全することを目的に、全8章、全38条から構成。遺産の定義、リスト作成、世界遺産委員会や世界遺産基金の設立、遺産保護のための期間設置や立法・行政措置の行使、国際援助などが定められている。
まずもっての義務や責任は保有国にあることは忘れてはならない。
また締結国が国民に教育・広報活動をしていくことの重要性についても求められている。
関連団体=ユネスコ
ユネスコ=国際連合教育科学文化機構(本部・パリ)…国連の専門機関
宗教や国籍、人種を超えた平和な世界の実現と福祉の促進を目的としてる。
国連が発足した翌月、1945年11月に第二次世界大戦を二度と起こしてはならないという考えのもと40カ国以上の参加で発足。
ユネスコ憲章が採択された。このユネスコの流れで世界遺産条約も作られたのである。
世界遺産誕生までの流れ
文化遺産に対する考えの変化がきっかけ
もともと文化遺産と自然遺産の考えは分けられていた。文化遺産=個人(貴族や王族)に紐づくため、保護するべきではないと考えられていたのだ。その考えが19世紀にようやく変化していったことが世界遺産誕生の始まり。
文化遺産の考え方の変化
19世紀ヨーロッパでようやく文化財も保護する流れになったが、個人の住宅や町並みはまだ考えられていなかった。その流れは
・アテネ憲章|1931年
・ハーグ条約|1954年
・ヴェネツィア条約|1964年
を契機にどんどん変化していく。
アテネ憲章
1931年のギリシャアテネでの第一回「歴史的記念建造物に関する建築家・技術者国際会議」で記念物や建造物などの保存や補修に関する基本的な考え方を記した”アテネ憲章”あ採択されたことがきっかけ。
大きな特徴は、修復方法に、近代的な技術や材料の資料を認めていること。
ハーグ条約
第二次世界大戦を経て、世界は遺産や記念建造物保存の重要性と保護の難しさを知った。
1954年にユネスコがオランダ・ハーグで、国際紛争や内戦、民族紛争など非常時に文化財を守るための条約=ハーグ条約を定めた。
ヴェネツィア憲章
1964年にヴェネツィアでの第二回「歴史的記念建造物に関する建築家・技術者国際会議」でアテネ憲章を一部見直す形で新しく文化遺産保護や修復方法に関する内容が採択された。これをヴェネツィア憲章という。
ちなみに違いは、
修復方法に、当時の技術や材料を用いることを尊重することである。アテネ憲章は最新技術を用いてよかったが、遺産としての特徴・伝統を重んじることとなった。
自然遺産
自然遺産の霊視は古く、世界遺産条約誕生の100年前にあたる1872年にはアメリカ合衆国で自然保護を目的とした世界初の国立公園「イエローストーン国立公園」が誕生。
世界遺産条約へ…文化遺産と自然遺産の境目がなくなる
1960年代に入ると、経済開発と遺跡や自然保護に関する問題が表面化。
文化遺産と自然遺産の切り分けが難しくなり、1972年にユネスコ条約が締結された。その大きなきっかけとしてヌビアの遺跡群救済キャンペーンがある。
ヌビアの遺跡群救済キャンペーン
ヌビアとはエジプトのナイル川沿いにあるアブ・シンベル神殿からフィエラまでにまたがる地方の名前だ。
1952年、エジプト政府は国家の近代化と国民の生活向上のためにアスワン・ハイ・ダムの建設を計画。しかし、、、その実行には大きな犠牲が。
ダム建設と引き換えに、アブ・シンベル神殿とフィエラのイシス神殿が水没してしまうのだ。当時のナセル大統領はユネスコに救済を求めた。ユネスコは経済開発と遺産保護両立のために、募金キャンペーンを始めた。
これをきっかけに人類共通遺産を守ることと、経済開発の両立に関する考え方が世の中に浸透し、世界遺産条約が生まれた。
まとめ
世界遺産って割と誕生したのが最近なんですね。
- 戦争によって守らなくてもいけないという意識ができた
- 経済開発との両立を考えなくてはならなくなった
この2つが背景にあるのですね。都市部にある世界遺産は世界遺産条約によって維持できているのでは?など思いながら観光すると見方も少し変わるかもしれませんね。
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