春に結婚式をやりたかった本当の理由

ブライダル

 誰にも言うつもりはなかったけれど、結婚式を延期した今、もうかなわない春の結婚式に込めた思いを形に残しておきたいと思い、書くことにしました。
 いつもは夫と一緒に気まぐれに書いているブログなのに、今回だけ違う雰囲気になってしまいますが、それでも気持ちが収まるまで、自己満足のためにだらだらと書きます。

 

私には、花嫁姿をどうしても見せたかった人がいる。
20歳のころ天国へ行ってしまった、私のばあちゃんである。

北国のとある町で育った私。地元では珍しかったが、両親は共働きで遅くまで仕事をしていた。
小さいころから高校を卒業するまで、毎日学校から帰って「ただいま」を言っていたのは、ばあちゃんのいる家だった。

私のばあちゃんは、いい意味でも悪い意味でも「少女」のまま年齢を重ねたひとだった。
田舎の旧家に生まれたお嬢様育ちのばあちゃんは、町でレストランを営むじいちゃんに一目ぼれされ、当時としては珍しい恋愛結婚でゴールイン。一族の中でなぜか一人だけ外国人のような彫りの深い顔立ち。幼いころから声楽の先生に歌を習っており、ラジオでも歌ったことがあるらしく、少し目立った女学生だったらしい(※本人談。だが、確かに田舎のばあちゃんにしては恐ろしく歌が上手い)。
その無邪気なキャラクターのまま娘である母が生まれ、そのうち初孫である私が生まれ、弱冠50で若くして「ばあちゃん」になったのであった。

ばあちゃんと私は女友達のようで、普通の孫と祖母の関係と少し違っていたかもしれない。もっとも、ばあちゃんはハイカラなひとで、年齢よりもかなり若く見えた。年の離れた姉と妹か、師匠と弟子か。何にせよ、ふたりにしかできない話をして、ゲラゲラ笑っているような不思議な間柄だった。

私たちの、毎日のルーティーンはこうだ。昼過ぎに、学校から私が帰ってくる。「ただいま」。ランドセルを置いて宿題を済ませたら、ふたりで自転車に乗って町をぐるぐる回る。市場に出かけ、買い物を済ませた後は、商店街のカフェコーナーで休憩。お気に入りのクリームソーダを食べて、「お腹寒くなったね」「でもいっつも食べちゃうんだよね」と笑いながら帰り支度をする。夕日に照らされるばあちゃんの背中と、ふたりぶんの自転車の影。
寒くなると、私のすきな色の毛糸を一緒に買いに行き、帽子と手袋とマフラーの3点セットを作ってもらうのもお決まりだった。毎日「ただいま」と帰るたび、私のための帽子や手袋が編み進められて、少しずつ大きくなっているのが嬉しかった。完成したマフラーは、ばあちゃん家の匂いがした。お布団でいうおひさまの匂いのようなものなのだ。ばあちゃん家の、ストーブのあたたかい灯がそのまま閉じ込められた、冬の陽だまりのような匂い。

雪の降る日にこたつの中で、または夏に扇風機の前でアイスキャンデーを食べながら、あるいはカフェコーナーでクリームソーダを飲みお腹を冷やしながら、とにかくいろんな話をした。とんでもなくくだらないことから、ばあちゃんの若いころの昔話や、母にも父にも言えないようなヒミツまで、数えきれないほど。

だから、あんな電話一本でいきなり言われたときは声が出なかった。「ばあちゃん、癌だった」。

東京への大学進学が決まり、宿舎へ引っ越してきた最初の夜だった。なんで早く言ってくれなかったの? 震える私に母は続ける。「心配するから、言ってほしくなかったみたい」。
その後、末期ではないので出来る治療はしていくこと、年齢も年齢なので進行はゆっくりであることなど電話口で言っていた気もするが、あまり耳に入ってこなかった。
私が大学に受かった時、ばあちゃんはとても喜んでいた。すごい、すごいとほめてくれた。自慢だわとも言ってくれた。それとまたひとつ、秘密を教えてくれた。ばあちゃんが女学生のときに付き合っていた男の子が、私の受かったのと同じ大学に入り、上京してしまったという切ない思い出があるらしい。「もちろん、じいちゃんと結婚するずうっと前だよ。誰にも言ったことないの。だからね、絶対秘密だよ。ふたりだけのないしょ話だから」。

それからというもの、忙しい大学生活の合間に、地元に帰っては、ばあちゃんに会いに行った。入院と自宅療養を繰り返したので、病院にもお見舞いに行った。病室にいるばあちゃんはその場にいる患者さんの誰よりも元気そうで、東京から孫が来たんだと自慢しまくっていた。ばあちゃんの好きな滝廉太郎の「花」を合唱しようと言われたときは他の患者さんもいる前で…と動揺したが、すぐにハモリのパートを歌えた。ばあちゃんが小さいころから何度も私に教えてくれたからだ。小さな病室で拍手が起きたこと、そしてばあちゃんがとっても嬉しそうな顔をしていたこと、忘れられない。
成人式の朝、雪の降る中、赤い振袖を着てばあちゃんの家へ行った。ちょうど小康状態が続き、一時帰宅を許されていたころだ。「まあ、すごくきれいだね」と喜んでくれた。
「成人式の晴れ着も見られたし、花嫁姿を見ることができたら思い残すことないよ」。だけど、それはちょっと気が早すぎるよねえ、母と3人でゲラゲラ笑い合った。
しかし、元気な姿を見て安心してしまった私は、次第に授業や部活やバイトで忙しくなるのを言い訳に、なかなか連絡を取れなくなってしまうことや帰れなくなることが増えた。
ある日、電話口でばあちゃんと話していたら、「ごめんね。ちょっと疲れちゃった…じゃぁ、またね。ありがと」とか細い声になり、通話が終了してしまった。いつもあんなにべらべらしゃべっていたのに。不安になって母に聞くと、「最近体力が落ちてるみたいなんだよ。あんたもまた近々、こっちに帰ってきた方がいいかもね」。

ある3月の終わりごろのことだった。ついにちょっと危ないかもしれない、という連絡が入ったので、急いで新幹線に飛び乗った。
そこには、病室で管につながれた、小さなばあちゃんがいた。
数か月前とは別人だった。ばあちゃんは昔の人にしてはけっこう大柄だったのだが、まるで10歳くらいの子どものように、小さく、やせ細っている。もうまともに話すこともできないので、目線と指さしで母と意思疎通していた。
病室の扉を開けると、ばあちゃんのぼんやりとした眼差しと、私の目線がゆっくりと交わった。静かな病室で、時間が止まったようだった。私の目からはただただ涙があふれてきて、止まらなかった。ばあちゃんも泣いていた。あんなにくだらないバカ話で盛り上がっていたのに、私たち、もう話すこともできない。「ごめんね…」。絞り出すように言ったけど、もうそれ以上は言葉にならなかった。ばあちゃんは何か言おうとしていた。
「身体起こすから、支えてあげて。」母が言うので、ぼろぼろ泣きながら手伝おうとするけど、うまくいかない。筋力が弱っているうえ、体が細く弱いので、慣れない私には難しかった。こんなことすらしてあげられないのか。食事を手伝うこともできなかった。
ふと、病室で「花」を合唱したことを思い出した。春のうららの隅田川…。思い出すだけで泣かないようにするのがやっとだったが、声を振り絞り話しかけた。「わたしの住んでいる東京ではね、桜が咲き始めたよ。こっちは、まだなんだね」。母が「寒いから、咲くのはまだ全然先だねえ。」と相槌を打ったそのとき、ばあちゃんが、のどの奥から絞り出すように私に言った。「持って、きて」。
まだ3月の終わり、雪解けまもない北国では芽吹くはずもない桜。私は「ごめんね、東京から持ってきたらよかったね。でも、もうすぐ咲くから、見れるよ。桜」と答えた。無責任だと思った。でも、桜が咲くまで、生きていてほしかったから、一緒に見たいと思ったから、言ってしまったのかもしれない。

その約1週間後の真夜中に、ばあちゃんは天へ旅立ってしまった。桜が満開の東京にいた私の帰りを待たずに。前日の夜、最終の新幹線が終わった後に危篤状態に陥ったと聞き、朝いちばんで帰ろうと思っていた矢先のことであった。

次の日、喪服の入ったスーツケースを片手に、私はのろのろと新幹線から降りた。北国の春はまだ寒い。桜は咲いてもいなかった。

死に化粧をしたばあちゃんと会ったのはそのすぐ後だった。長い2年間の癌治療に別れを告げて、少しほっとしたような表情をしている気がした。親戚にそんなに見てどうすんの、と言われるまで、私はばあちゃんの横にいた。

「これ」。母が、ばあちゃんの携帯電話を私に手渡してきた。入院中、家族と連絡を取り合うために母が買ってあげたものだ。当時、ご老人用に販売されていた、ガラケーの「楽々フォン」である。
パカっという音を上げて、携帯を開くと、成人式のときに振袖姿を見せに行った私と一緒に撮った写真が待ち受け画面に映っていた。「これが一番気に入ってて、何度も見てたのよ」と母が教えてくれた。

通夜の前、棺の中に入れるものはありますか、と葬儀屋の人に聞かれた。家族は、ばあちゃんの大事にしていた楽器や、歌の本などを用意していた。
「私、入れたいものがあるから、車を出してほしい」
両親に頼んで、地元じゅうの桜の木を見て回った。まだどこも開花していない。つぼみのままだ。でも、どうしても見つけないと。見たいって言ってたから。

さんざん探し回って、思い当たる場所を車で回り切ったところで、とある花屋の軒先に、桜が売っているのを見つけた。観賞用の桜の枝花だった。2,3本しかなかったが、あるだけ買った。
他の遺品とともに、桜の枝を棺に入れて、ふたをした。家族の中で、一人だけ最期の瞬間に間に合わなかった私。孫の中で、いちばんかわいがってもらったのに、体を支えることすらできず、ただ泣いていた私。ごめんね。だから、せめて一緒に見たかった桜を、ここに持ってきたよ。

ばあちゃんに見せてあげられなかったものがふたつある。桜と花嫁姿。

桜の咲く時期に結婚式を挙げようと決めたのは、去年のこと。誰にも言っていなかったが、内心、約束を守れる気がしてとても嬉しかった。見せられなかったものをふたつとも、天国のばあちゃんに見せてあげられるような気がした。ばあちゃんと「ふたりだけのないしょ」の日になるはずだった。

延期したことに後悔はないけれど、それでも咲き乱れる桜並木を見るたびに少しだけ思い出す。
ばあちゃんがいなくなってから、6回目の春。
どうか空の国でも、桜が満開でありますように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました